6月8日(3日目) アイワルク−−→エフェソス−−→パムッカレ
朝6時に起床。曇っているが爽やかな朝。早速散歩に出かける。すぐにバイキング朝食。パン、野菜、ソーセージ、卵。日本に居るより随分豪華な朝食。食後、海岸を散歩。7時半に出発。Mr.Kの挨拶から。
朝食 海岸散歩 Mr.K朝の挨拶
空も晴れてきました。今日は何箇所か予定があります。まずはシリンジェ村へ。ここは第二のサフランボルとも言われ、白壁の古い家が建ち並んでいる山間の村。3時間以上走って、10:50着。みやげ物小屋が並んでいて、ずいぶんと観光客も多い。きれいなところですが、時間が無く30分のみ。もう少しゆっくりと散策したい、綺麗なところ。この後、革製品店でショーを見たわけで、つまらないショーよりもシリンジェ村に時間を割いて欲しかった。
シリンジェ村
シリンジェ村から少しの処、革製品店で40分ものショー。誰も買わないヨ!!。又15分程度走って、12:30道路脇の食堂みたいなところで昼食。パン、スープ、パイ包み?、シシカバブー。エフェスビールは毎食事に良く飲みました。昼からビールなんて、旅行の時しか飲めない。シシカバブーは、日本の大きめの串焼きとは違い、小さな焼き鳥串に肉のみがチョット刺してある。味も焼き鳥風。トルコの食後のスイーツは、甘いお菓子をさらに蜂蜜漬けしたような強烈な甘さ。毎回、ものは試しと一口かじってみますが、それ以上は私の口には無理でした。
店先に、女の子が勉強をしていました。海外旅行の時、私は現地の方とのキッカケ用にと「てぬぐい」を沢山持っていきます。早速、この子にあげました。ガイドのNさんがそれを女の子の肩に掛けています。チョットはにかんでいますが。
昼食 シシカバブー 店の女の子
食堂から10分程度で本日のメイン、「エフェス遺跡」。紀元前10世紀頃から建設が始まった古代都市。現在残っている建物の多くはローマ時代に作られたものがほとんど。壮大な遺跡で、ここだけでも全部見るには1日では不可能と言われている。私たちは、メインの通りを南門から北門へ向かって観光しただけ。ここももう少し時間を取って見物したかった。それ以上に、ガイドのMr.Kがここで爆発した。!!
まず、南門を入ったところに「ヴァリウスの浴場」がある。街に入ってきた人の汚れと病気を持ち込ませない為とか。「上のアゴラ」は73mX160mの広場。集会や宗教行事を行なった。近くに古代の水道用土管も現存している。
ヴァリウスの浴場 上のアゴラ 古代の水道管
右側には「オデオン」、元は屋根のある音楽堂。そして「市公会堂」跡。数本の柱のみ。次に「クレテス通り」に入る。
オデオン 市公会堂跡 クレテス通り
「病院跡」の石碑。蛇のマークは医療関係との事。「ニケ」のレリーフ。英語ではナイキ。勝利の女神は現在運動用具メーカーとなっている。
102年〜104年に皇帝トラヤヌスのために作った「トラヤヌスの泉」。
病院跡 勝利の女神NIKE トラヤヌスの泉
皇帝ハドリアヌスに捧げられた「ハドリアヌス神殿」。Mr.Kは、ここの説明中に突然切れた。詳細は下に記す。
「公衆トイレ」下には水が流れており水洗となっている。
ハドリアヌス神殿 公衆トイレ 公衆トイレ
マーブル通りに入った所にある「ケルスス図書館」。ローマ帝国のアジア州執政官ケルススの死後、息子が建てた。「大劇場」24000人収容の野外劇場。全市民参加の民会も行なわれた。大劇場から伸びる「アルカディアン通り」この先に港があり、物資の搬入搬出路となっていた。
ケルスス図書館 大劇場 アルカディアン通り
15時頃エフェス遺跡を出発し、一路パムッカレへ。今日一日、車窓はオリーブ。トイレ休憩を挟みながら、約3時間半、今夜の宿、パムッカレのホテル、サーマルコロッセアに到着。食事をしたが、何だか外が騒がしい。ホテルのプールサイドで宴会が始まった様子。見に行くと、披露宴が行なわれている。8人掛けのテーブルが40個以上、300〜400人が来ている。到着した人から食事を始めているが、その間にも、どんどんお客が着く。そのうち新郎新婦が到着に、さらにヒートアップ。音楽と踊りと、夜中には打ち上げ花火も。寝付くまで外の喧騒が途切れる事はなかった。
パムッカレへ ホテル ホテル
夕食 プールサイド 披露宴
<<ガイドMr.Kの顛末>>; 彼曰く、○ここでガイドを打ち切る。○理由は、皆が彼の説明を真剣に聞いていないから、説明しても無駄。○彼が説明をしている間は、顔も耳も彼に集中する事。○写真などは、説明し終わってから撮れ。
要約すれば以上の事。その場では、彼の言う事を聞いて、小学生の遠足のような一日になってしまった。当然、お金を払って来ている客は、彼のガイドを聞く聞かないの選択権が有り、お金をもらっているガイドは、ガイドを打ち切る権利を有していない。それ以前に、通常の海外旅行より態度の悪いメンバーは居なかったし、ほとんどが旅行慣れしている方々で、迷子や時間に遅れる人は、一人も無く、ツアーとしては上等な客ばかりだった。説明中に写真を撮っても、メンバーからは離れず、耳はガイドに傾けている様子の人ばかり。このガイドは、何が気に入らないのだろう。ツアーメンバーのストレスが溜まる一日でした。夕方には日本人ガイドのNさんと話、必要があれば私がMr.Kと話をする旨申し入れましたが、とりあえずNさんが今晩、話をする事で落ち着きました。でも、結果的に、問題が始まっただけの事でした。
翌朝には、私にとってもっと大事な事件が勃発するのだが、この時はMr.Kが大問題だったのである。