2006年9月15日(5日目) 夜行寝台列車で柳園站・敦煌観光

 

 朝、7時前に目が覚めた。列車の割りに良く眠れた。8時に敦煌近郊の柳園站にて下車。中国語では駅は「站」と書く。何本かのホームはあるが、ホームとホームを繋ぐ陸橋が無い。線路上をいくつか横切って駅舎へと向かう。駅のすぐ右手の食堂で朝食。個室であったが今までで一番粗末な感じがした。9時に食事終了。朝のトイレを使おうと、食堂のトイレに向かう。8畳間位の部屋に、大3、小3の中国式。珍しく大には高さ1mくらいの仕切りがある。でも、立っているだけで中は丸見え。しかも、水洗の水が流れなくて、3つともテンコ盛り。中国人は、そこで中腰で用を足している。便器の周りも汚れている。さすがに出来ない。結局、敦煌まで1時間半ほど我慢する事となった。何とか我慢できて良かった。

    
柳園站                 柳園站                朝食


 10時40分、「敦煌市博物館」に立ち寄る。中は、見るべきものはなく、ガラクタの欠片が木枠のガラスケースに並べられているだけ。博物館の館員が説明してくれたが、理解に苦しむ。年代や時代が前後していて、日本人が理解している歴史と合わない。館員が知識不足なのか、間違っているのか。どちらにしても、興味をなくしてしまって、聞くのをやめた。50分も周りをぶらぶらしていた。

    
敦煌市博物館

 

 一旦ホテル(敦煌国際大飯店)にチェックインし、昼食をゆっくりしてから「莫高窟」へ向かう。ここは、今回の旅の、楽しみの一つ。
敦煌の東南30キロ、鳴沙山の東側の絶壁に築かれた石窟群。窟の数は現存するものが492窟あり、現存する最古のものは第268、272、275窟の北涼窟(5世紀初頭)で、第237、248、251、254、257、259、260、263窟などの北魏窟(500年前後)第249、285、355、432窟などの西魏窟(6世紀前半)がこれに続く。その後、約1000年にわたり石窟の造営や修復が続き現状では、その様式から判断して五胡十六国9、北魏23、西魏2、隋97、唐225、五代34、宋70、西夏25、元7、に時代分けされる。内部は石質が粗い礫岩であるため、四壁と天井を漆喰で塗り、その上全体に壁面を描き塑造の仏像を安置している。仏像類は2415尊にのぼり、例外的な石彫を除き鮮明な彩色が施されている。残念ながら、敦煌文献といわれている貴重な資料は、中華人民共和国以前に、イギリス、フランスを始め、日本、アメリカに持ち去られ、分散してしまっている。でも、さすがに広く、まだ発掘されていない部分が右手に残っていた。2時間かけて見学したが、何時までも見ていたい場所であった。

    
莫高窟

 

  次に「鳴沙山」に向かう。シルクロードで最も美しい砂丘が連なる鳴沙山は、敦煌市の南西5kmにあり、東は莫高窟のある岩壁の頂上から、西は党河の河口まで、東西の長さ40km、南北の幅20km、最高峰の標高は1,715mである。沙(砂)でできた山並みはなだらかに起伏して延々と続いており、緩やかな曲線が優雅で美しい景観をつくる。頂上までは木の板の階段があり、10元(約140円)払って登ることができる。板の階段が砂で埋もれ、足を砂に取られながら登った。息が切れ大変だが、頂上からの眺めは素晴らしい。下りは途中から木のソリで一気に滑り降りる。急斜面で少し怖いが爽快さが味わえる。入口から山裾までラクダに乗って往復する。ラクダに乗って帰ってくる途中、偶然にも市内の知人夫婦とすれ違った。大声で呼びかけたが、誰だか解らない様子。砂塵除けでマスクとサングラスをしていたのを忘れてた。このグループとは翌日、又会う事になる。17時35分から19時まで。良い運動にもなった。

    
ラクダ              鳴沙山              鳴沙山より月牙泉

 

 食事をしてホテルに帰る。21時となっていた。

  
敦煌国際大飯店

 

 


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